| 毎年8月、トロント市庁舎前広場にて行われている広島・長崎での原子爆弾による犠牲者を追悼し平和を祈る広島デー。今年は、写真展が8月6日(水)から11日(月)にかけて、追悼式が8月6日に、式典とランタン・セレモニーが9日(土)に開催される。これらの平和イベントを前に、今回は平和活動家のサーロー節子さんにお話を伺った。
「市庁舎前広場でのセレモニーは、私が始めたんですよ、33年前にね。私が最初にトロントに来たのが1955年でしたけど、その時、ずいぶん悲しいな、寂しいなと思いました。8月6日になっても9日になっても、新聞は何も書かない、テレビもラジオも何もやらない、誰もそういうことを話さない。平和運動をしている人たちでさえ何も語らない。これじゃいけないと思ったんです。これは広島・長崎だけじゃなく、全人類の問題だから。
でも、何でも最初に始めるのは大変ですね。特に当時は、原爆の問題は日本とアメリカの問題だって思ってた人が多かったようですから。でも、マンハッタン計画(註1)にはカナダも入っていたんですよ、原爆に使われたプルトニウムはオンタリオから行ったんですよ、広島・長崎の計画には関係なかったと逃げ腰でいるわけにはいかないんですよ、と一生懸命に励まして始めたんです」
サーローさんは13歳の時、広島で被爆。その経験をもとに世界に平和を訴えたいと思ったのは、アメリカに留学していた時のことだという。
「あれは54年でしたね。ビキニの事件(ビキニ水爆被災、第五福竜丸事件・註2)があった時、ちょうどアメリカに行ったんです。そこで、広島からの生き残りが来るって言うんで記者に取り巻かれたんですが、私は大学を出たばかりでしょ? 意見を求められて、正直にしゃべってしまったんですよ。そうしたらヘイトメール(悪質な嫌がらせの手紙)が来てね、教授が1週間、彼の別荘にかくまってくれました。(口を指差して)ココにジッパーを付けて、そういうことがなかったと振舞うか、あるいは正直に言うか…。結局、これが私の使命だと、求められればどこにでも出ていって話をすると決めました。
留学ですか? アメリカ人の先生があなたの英語なら太鼓判を押すって言ってくれましたけど、あの先生たち嘘ついた! って思いましたよ。クラスメイトがみんな、ダンスだ、パーティだって楽しんでいる時に私は家で宿題(笑)」
サーローさんはこの留学の後、カナダ人のご主人とともにカナダへ移住している。お話を伺ったリビングルームのテーブルでは、53回目の結婚記念日を祝ってご主人から贈られた真っ赤なバラが甘い香りを放っているが、結婚するのは非常に大変だったという。
「主人とは日本で出会ったんですよ。実はね、私の家族が結婚に反対ですよね。なぜ親がそういう態度を取るかは理解できますしね。1年間アメリカに留学している間、私の教会の先生が、よく親のもとに会いに行ってくださって、親を支えてくれました。もうひとつの問題がね、あの頃(50年代)の移民法は非常に厳しくて、私、カナダに入れなかったんですよ。今とはうんと状況が違っていてね、カナダ市民の近親でなければ(移住者として)入れないということで、主人がまず、私と国外で結婚して近親にしなきゃいけなかったの。だから、その時に私が暮らしていたバージニア州で準備を始めたんですけど、バージニアは南部の州のひとつで人種問題があってね。私は有色人種だから、白人との結婚は禁じられていたんです。今はそんな法律はありませんけどね」
結局、遠い親戚を頼ってワシントンで結婚できることになったというサーローさん、今年の広島デーについて詳しく教えてくれた。
「今年は写真展を市庁舎内で行ないます。6日の午後5時30分から、広島・長崎の市内の写真と、被爆者たちが記憶をもとにして描いた絵も展示します。きっと、胸に響くものがあると思うんですよ。それが8月6日から11日まで。9日には、ピースガーデン(平和庭園)の前で、いつものように記念式典(追悼式)をします。今年はアメリカからお招きしている方がいるんです。その方が、環境問題についても話してくださいます。核の問題と環境問題が別々に扱われているのは問題ですよね。環境を保護しても、核をあちこちで爆発させたら何も意味がないですから。また、今、平和庭園のことが大変問題になっていて、そのお話もあります」
平和庭園とは、トロント市庁舎前広場の中心にある小さな庭のことだ。
「ちょうどトロントの市政が始まって150年の記念だったんです。それで市庁舎前広場に平和庭園を作ったらどうかというアイディアが出て、そこに広島の平和記念公園から平和のともし火と、長崎から市内を流れる川の水を持ってくる橋渡しをしました。当時のトルドー首相が鍬入れをし、法王が来てくださって祝福していただいた後、2か月ぐらいしてエリザベス女王が来てくださったんです。凄く大きなプロジェクトに役立ててよかったと喜んでいますが、今回、市のほうで市庁舎前広場を再開発する計画がでて、庭園を動かしてもっと広場を広くしたらどうかと言われたんです。最初、私たちは怒ったんですよね。一番注目できる、最高の場所にあるのに、どうしてそれを動かすのか。だから談判して、アドバイザリーを結成したんです。毎日、3か月間に渡って会議をして、20ページの(代替案)レポートを提出しました。そういうことがあった年ですから、平和庭園が何のために出来て、これからどう活用しなければいけないのかを一緒に考えます。ボランティアとして手伝ってくださることも出来ますし、式典だけに参加することも出来ます。皆さん、ぜひ、いらしてくださいね」。
(註1)…第二次世界大戦中のアメリカによる原子爆弾開発・製造計画。計画は成功し、結果、広島・長崎に原子爆弾が落とされた。
(註2)…1954年3月、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験により、近海で操業中だった日本の第五福竜丸の船員・捕獲魚類が被曝した事件。
(インタビュー/西尾 裕美)
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